長井式植毛が生まれた背景
私自身がハエギワのうす毛に気が付いたのが 18 歳、高校 3 年生の夏でした。それまでは髪の毛が太くて、コシがありすぎて、床屋さんからはさみが切れなくなるくらい強い毛だと言われていたくらいでしたので、
まさか!そんな自分がはげるなんて! と思いました。
しかし、父も祖父もハミルトン分類 7 型ということからも、実ははげる要素は十分に持っていたのです。
その頃はAGAという概念が出来る15年以上も前のことでしたので、確実な治療薬もない中で、出来る限り髪の毛にいいということを試してきましたが、順調にはげていきました。
そんな中、「自毛植毛」という外科治療を知り、幸運なことにチョィ式植毛針の考案者のチョィ先生の植毛手術を受け、更に指導をしてもらう機会を得て、自分でも植毛手術を専門にすることに決めました。
植毛の診療開始から2年ほど経過して、自分なりに安定した結果を出せていると感じていました。その後新しく同僚に加わった医師にも植毛を教えながら、私とスタッフの2人が練習台になってみたところ、後頭部には大きなキズが出来て、移植部もほとんど生えませんでした。彼の技術が低かった為ゆえのひどい結果でしたが、それとは別に、もっと正確な植毛の方法を作り出さないと安定した結果が得られないのではないか?と考えるようになりました。
そこで、更に高いレベルの治療法はないかと考えていたときに、たまたま参加した学会で、アメリカの植毛医師であるロン・シャピロー医師の講義を聞き、ロン・シャピロー医師が実際に行うオペを見て、その手技のち密さ、精密さ、その結果の自然さを見て雷に打たれたような衝撃をうけました。
それからロン・シャピロー医師について調べてみると、植毛という治療を植毛学という学問に昇華させた人ということを、この時に初めて知りました。
それからロン・シャピロー医師に連絡を取り、私が行う植毛の術式の説明と、術前、後の画像を送ると、私が彼の講演とオペの時に真剣に質問をしていたことを覚えていてくれて、見学の許可をもらい、アメリカに渡り3 回目のオペを彼から受けました。
まずオペ後の経過がそれまでとは全く異なり、オペ直後から植えた毛がもともと生えているように見えていました。研修の際には、植毛の工程の中で、私の手技は株の採取、株分け、デザインまでは問題なく、ただ毛穴をホールスリット(丸い毛穴) からラインスリット (線状の毛穴) へ、変更して植えられさえすれば問題ないといわれました。
しかしホールスリットからラインスリットにすること自体が、まったく別の次元のオペをする事と同じことで、日本に帰ってから実用化までに6か月もかかりました。それ以降もロン・シャピロー医師には定期的に指導をしてもらい、弟子を一切つくらないというロン・シャピロー医師が弟子ではなく、同じ志を持った仲間だといつも言ってくれるようになりました。それから彼が作り上げたロン・シャピロー医師式植毛を、日本人である私が更に緻密に繊細に工程を標準化して、安定した結果が得られるようになりました。うす毛の私が作り上げ、今でも進化している長井式植毛の事をよく知っていただいた上で、是非施術を検討していただければと思います。
独自の長井式ラインスリット植毛を完成させた後も、植毛に情熱を注ぎ、少しでも完璧に近づくことを目指しています。